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サイン本懐しの三輪自動車懐かしの三輪自動車オート三輪写真集解説木村信之ダイハツマツダみずしまくろがねヂャイアントミゼットMP5諸元表

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商品説明ご覧下さりありがとうございます。画像の後に、商品説明がございます。写真集/本の出品です。 【即決】ご入札いただければすぐにお取引が成立します。 直筆サイン入り本 懐しの三輪自動車 懐かしの三輪自動車 日本で初めてのオート三輪写真集 木村信之写真集 ダイハツ・マツダ・みずしま・くろがね・ヂャイアント・オリエント 木村信之 著 フォトスケント 発行 平成元年 初版 64ページ 約26x18x0.5cm モノクロ ※絶版 ※見開きに著者直筆サイン入り/署名入り (宛名あり 画像では白抜きにしています) ダイハツを中心に、マツダ・みずしま・くろがね・ヂャイアント・オリエントほか、日本で初めてのオート三輪写真集。 当時現存していたダイハツ最古車をはじめ、著者が全国のマニアを回って撮影した名車、珍車など60台の写真を収録。 全車に車名、形式、年式、解説、所蔵者名のほか、裏表紙に主要メーカーのロゴマーク、 巻末には諸元表を掲載した、情報満載の大変貴重な資料本です。 【懐しの三輪自動車】序文より  オートバイとリヤカーを組合せた発想から生れた三輪自動車は、日本で大いに発達し、世界でも類をみない大型車まで発展しました。ところがいつのまにか世の中で忘れさられ、気がついた時には周りから居なくなってしまい、SLやボンネットバスの様に騒がれもしませんでした。ここでもう一度三輪自動車を想い出してみようではありませんか。戦後の復興をはたしたのも、この三輪自動車のおかげかも知れません。  古来日本の道路は、世界にも悪名高き洗濯道路と呼ばれ一級国道でも道幅狭く、無舗装で雨が降るとぬかるみ、上天気となるとカチカチとなり、砂ぼこりもうもうといった状態でありました。道路にはわだちがくっきりと三本付いており、そこを荷重の2倍、3倍といった重い荷をつみ、バタバタと大きな音をたてながら走りまわっていました。日暮ともなると長い上り坂をエンジンを真赤に焼きながらノロノロと登っており、力不足となるとガソリンタンクに三つ付いていたタンクのうち、水タンクより水を一滴一滴ガソリンに混ぜて走ったものでした。ガソリンタンクにはガソリン注入口と灯油注入口と水注入口があり、始動時はガソリン、走行中は灯油を使い、ケッチンとハンドルのアクセルタイミングが合わず苦労したものでした。  三輪自動車の事を通常オート三輪と呼び、地方によってはハタハタ、バタコー、バタバタ、バタンコと呼ばれハンドルの事を棒ハンドル、角ハンドル、枝ハンドル、バーハンドルといろいろよんでいました。  平成元年5月の全国登録三輪自動車は、小型三輪車2,604台、軽三輪車1,234台、三輪乗用車36台、その他特殊車589台です。日本の自動車登録5,571万台の内わずか4,463台が残っているにすぎません。  ここに登場するのは現役か、マニアの手により保存されている三輪自動車ばかりです。これらの車に頑張れの言葉と共に保存維持されているオーナーの方へ御苦労様の礼を述べたいと思います。   【目次】 ダイハツ車 21台 くろがね車 6台 ヂャイアント車 4台 ハーレーダビッドソン車 1台 マツダ車 10台 ホープスター車 2台 オリエント車 2台 その他 8台 みずしま車 3台 ラビット車 1台 市原ポンプ車 2台 スペック 【テキスト一部紹介】  日本自動車工業の発展史をさかのぼって見ると、トラックの製造業として育成された事、又小規模輸送を目的として三輪車の製造台数が比較的長期にわたって四輪車以上に多かった事があげられる。昭和30年代の始めまで日本の自動車メーカーは四輪車よりも三輪車の方が多かったのである。  自動車の発達史上、最初に取りあげられているのはフランス陸軍大尉のキニョーネが作った蒸気自動車があげられる。又ガソリンエンジンで最初に走ったカールベンツ、日本で量産車の先がけとして試作された米人技術者ウィリアム・R・ゴーハムが作った自動車、これらはいづれも三輪自動車であった。  ところがこれらの自動車は、次の改良車から四輪自動車へと変っていった。  ではなぜ日本だけが三輪自動車の発達をとげたのであろうか。まず道路事情が悪かったこと、政府が小型エンジンを優遇し、無免許で乗れたこと、小資源として夕イヤが1本でも少なければ経済的と考えられたこと等があげられる。  さて三輪自動車の史実だが、自動車工業界が昭和43年に上梓した「小型自動車発達史」によれば三輪車の日本渡来は遠く明治30年代のことであるという。その製造の発展は、東京では渡来した外国三輪車の模倣に始まるとする説が有力だが、関西ではリヤカーをけん引する自動車、あるいは前二輪、後一輪の自転申(フロントカー)にモーターをとりつける着想に始まるとする説が有力で、いまのところ歴史上の定説というものはない。フロントカーとは荷箱を前二輪の上に配置した、後一輪の足踏式三輪自転車で関西では大正5~6年頃、中小商工業の間で小運送用にかなり普及していた。(余談であるが大阪では、平成元年度でも氷配違用に今でも使用している)いずれにせよフロントカーヘのモーターの取り付け、あるいはオートバイの後輪改造等のかたちで三輪車の組立製造が始まったのは大正5~6年頃のことである。その後技術的な改良や工夫が次々に加えられることになり、大正時代の後期ともなると本格的な前一輪、後二輪が作られるようになり、クラッチや2段・3段変速機、チェーン駆動でヘッドランプ、テールランプも付き、エンジンの始動も、それまでの押し出し式からキック式へ改良されるようになった。  大正15年に入ると小型自動車は車体寸法・エンジン出力・変速機・ブレーキ・速度・積載量等の面で一定の規格が設けられ、この規格を満たす車は無免許で運転できることになった。  昭和の初め頃。車販されていた三輪車のブランドは次のような各社である。 ①アラビア②ブラックバーン③コンビンシプル④デー・カー・ベー(D.K.B)…(以下略) 【あとがきより】  ダイハツ創立80年を記念してダイハツ車の古いオート三輪を求めて全国を廻っている時、ダイハツ車以外に他のメーカーのオート三輪もかなり残っていたので今の内に記録に残しておかないとダメになると思い、あらためて日本に残っている全メーカーの三輪を写そうと捜し始めました。  クラシックカーやオールドカーはたくさん残っていますが、そのほとんどは乗用車でトラック等を保存している人はいません。最初に知り合ったのが四日市市の児島満氏で、児島氏より山下・森・能宗・土田の各氏を紹介していただき、この各氏より再び友人を紹介してもらい、と順々に輪が広がり、全国にまで広がりました。(中略) 変った所ではアンティークトイのブリキ製おもちゃが高値で取引されている事でした。オート三輪のカタログもプレミアムがついて手に入れにくいものです。(後略) 【本文解説より】 ダイハツ H03型 発動機製造株式会社 昭和7年式  昭和5年まず30台を出した三輪自動車生産は戦後に著しく伸びて、同28年8月には遂に10万台を突破した。これを記念して8月10日を記念日と定め諸種の行事が華やかに繰り拡げられた。行事の一つにダイハツ号最古車の募集があった、20年以上の寿命を保ち現在なお使用されている車を広ぶ募集し、そのうち最古の車の所有者を表彰するものであった。全国からの応募者172台のうちから茨城県筑波郡谷田部町の肥料商坂本正一氏所有のものがー位になった。  この車は昭和7年出荷されたものでH03型車であった、部品の一部は取替えられていたがエンジン、同フレーム、台枠、前輪支持などは原型のままであった、その後この車はダイハツ本社にて引取りダイハツ現存最古車として保存している。 ミゼット MP5型 ダイハツエ業株式会社 昭和42年式  昭和37年5月より発売されたMP5型は最終年の昭和47年まで生産されミゼットの総生産台数は336,534台で輸出車はその内19,382台であった、今でも東南アジアではサムロタクシーとして重宝がられている。 MP4型よりMP5型は大きくモデルチェンジされ外観上の大きな差は天丼が鉄板となりヘッドランプグリルが変わり、足もと風取り口が大きくなりボンネット上の蓋がカバーに変わった。 マツダ KTBA43型 東洋工業株式会社    昭和41年式  通称K360型(ケサブロー)と呼ばれた軽三輪車は昭和34年に3月に発売された、小杉二郎氏デザインによるボデーはミッドシップエンジン搭載で空冷2気筒360CCであった、モデルチェンジを堽る事もなく昭和44年まで作られ総数は278,117台を数えるにいたった。つい最近までビルマではK360型を生産していたのでビルマ国内どこでも見られる。 くろがね KGL型 日本内燃機製造株式会社 昭和30年式  テレビドラマ「おしん」の中で登場するのがこの車である、当時の三輪目動車は大八車に変わる便利で手軽なトラックと言う事で運送屋や八百屋では引っ張りだこで、早朝の中央卸売市場等はこのオート三輪車でゴッタ返していた、三輪トラックで一番困った事はパンク時のタイヤ交換で予備タイヤは積んで無く、前輪は取りはずしするのが大変であった。   ジャイアント AA26F型 愛知機械工業株式会社 昭和34年式  ジャイアントの最後を飾ったのがこの型式で、以降はミゼットブームに便乗してジヤイアントコニーと呼ばれる軽三輪車を昭和34年から販売、しかしながら時すでに遅く、7,185台を生産して昭和3年に撤退、以降は軽四輪車の方へ進む、現在ジャイアントコニーは1台が日本自動車博物館に残っているにすぎない。尚現在は愛知機械工業は日産グループとして日産車を製造している。 【三輪自動車諸元表 51種掲載】 年式、社名(通称)形式 全長 全幅 全高 車輌重量 最大積載量 定員 エンジン形式 気筒内経×行程 気筒数 総排気量 最高出力 タンク容量 ダイハツ、ダイハツミゼット、ダイハツ電気自動車、マツダ、みずしま、三菱レオ、くろがね、ホープスター、ラビット、ジャイアント、ハンビー、ハスラー、市原ポンプ、ベスパ 【著者について】 木村信之 1941年大阪生れ大阪経済大学卒業。3才より10才まで疎開先の福岡県秋月町で育つ。この頃は木炭バスと木炭トラックとオート三輪にあこがれる。11才より再び大阪へ戻る。以後現在まで大阪住い。1980年に「頭張れボンネットバス」を出版する。 状態 平成元年のとても古い本です。 見開きに著者サイン入り、宛名記載あり、画像の個人情報部分は白抜きにしています。 巻末に蔵書印あり。 外観は通常保管によるスレ、うすヤケ程度、本文目立った書込み・線引無し、 問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください) <絶版・入手困難本>オークションにも滅多に出ない、貴重な一冊です。 古本・中古品にご理解のある方、この機会にぜひ宜しくお願いいたします。 お取引について 商品が到着しましたら、必ず「受取連絡」のお手続きをお願い申し上げます。 中古品です。それなりの使用感がございます。 モニタのバックライトの作用により、写真画像は実際よりきれいに見えがちです。 絶版・廃盤、一般の書店で販売されない限定販売、 書店や出版社で在庫切れである、またはその他の理由により、 定価に関係なく相場に合わせて高額となる場合があります。 「かんたん決済支払明細」の画面を保存・印刷することで領収書に代えさせて頂きます。 領収書に出品者の押印がご必要の場合、「受取連絡」にて代金領収後に別送いたしますので、 取引ナビにて別途ご依頼ください。 PCよりの出品です。携帯フリマサイトのようにすぐにご返信はできかねます。 かんたん決済支払期限が切れた場合、連絡が取れない場合、 落札者都合にてキャンセルいたします。 土・日・祝日は、取引ナビでの応答・発送をお休みしております。 他に連絡・発送のできない日は自己紹介欄に記載しております。 万一、商品やお取引に問題があった場合は、いきなり評価ではなく、 取引ナビにてご連絡ください。 誠実に対応いたしますので、ご安心いただけますと幸いです。 上記の点をご了承頂ける方のみ、 ご入札くださいますようお願い申し上げます。 商品の状態について ヤフオク!の定める基準をもとに、出品者の主観により判断しています。 以下は公式ページより選択の目安より転載します。 新品、未使用…未開封の新品、または購入から時間がたっていない一度も使用していない商品 未使用に近い…中古ではあるが数回しか使用しておらず、傷や汚れがない 目立った傷や汚れなし…中古品。よく見ないとわからないレベルの傷や汚れがある やや傷や汚れあり…中古とわかるレベルの傷や汚れがある 傷や汚れあり…中古品。ひとめでわかるレベルの大きな傷や汚れがある 全体的に状態が悪い…中古品。大きな傷や汚れや、使用に支障が出るレベルで不具合がある。ジャンク品など。 他にも出品しています。ぜひ御覧ください。 ↓↓↓出品中の商品はこちら↓↓↓Click here!
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